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2016年9月9日金曜日

1930年1月に、日本は金の自由輸出を認める大蔵省令を施行し、金解禁が断行された。
これにより、日本は1930年から1931年にかけて、一次的な不況を覚悟していた井上蔵相の想定をはるかに超える、未曽有の大恐慌となる「昭和恐慌」を経験することとなった。
1929年を100とする指標で、1931年の卸売物価は69.6となり30%以上のデフレとなり、日本の輸出品の主力だった繭の値段は42.3という価格崩壊となってしまった。
また輸出を価格ベースでみると1932年の指標は37.5となっており、昭和恐慌期における輸出品の価格急落の異常さを示す数値が記録されている。
<昭和恐慌前後の日本経済指標>
     1929年 1930年 1931年 1932年 1933年
卸売価格  100  82.3  69.6  77.2   88.5
米価    100  87.4  63.5  72.8   73.7
繭価    100  43.7  42.3  49.3   74.6
綿糸価格  100  65.5  56.1  63.7   88.5
東京株価  100  61.7  62.7  78.6   113.1
輸出価格  100  72.8  56.4  37.5   37.7
輸入価格  100  74.8  59.2  39.7   38.2
世界恐慌が1929年10月のニューヨーク株式市場における株価大暴落を起点にしているため、1930年の金解禁は世界恐慌を織り込めたはずではないか、という疑問をよく耳にする。
しかし、世界恐慌の影響が、いよいよ日本に及んでくるのは、1930年春からのことであり、米株価大暴落からしばらくの間、これが世界恐慌へと発展するという観測は、当時は世界のどきにも存在しなかった。
むしろアメリカの将来に対する楽観論が、圧倒的だった。

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