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2016年12月7日水曜日

大阪城といえば豊臣秀吉が築城したイメージが強いが、実際には秀吉が築城する前に、織田信長が既に大阪城の築城に着手していた。
天正8(1580)年、信長に追い詰められた石山本願寺は、朝廷を動かして開城を条件に和睦し、本願寺の蓮如は雑賀の鷺森御坊に移った。
信長は石山本願寺が開城するとともに、3日間、昼夜を問わず焼き尽くし、跡地に巨大な城の建築を開始した。
大阪城の総普請奉行に命じられたのは、小牧城、岐阜城、安土城を手掛けた丹羽長秀であり、天正10(1582)年に信長が本能寺で討たれた時には、大阪城の築城はかなり進んでいたという。
その建設中の城を、さらにスケールアップして完成させたのが、秀吉の大阪城だった。

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