大阪城や聚楽第を建てた豊臣秀吉は、莫大な富を持っていたと言われている。
しかし、豊臣秀吉は直轄領を222万石しか持っておらず、250万石の徳川家康よりも少なかった。
秀吉が天下を治める事ができたのは、領地が少ないにもかかわらず、経済力があったからである。
秀吉は全国の主な金山・銀山を手中に収めていた。
慶長3(1598)年の豊臣氏の『蔵納目録』には4399枚の金、9万3365枚の銀があると記録されている。
これを石高に直すと、300万石に相当する。
つまり、この時点で、秀吉には領地からの収入220万石と合わせて520万石分と、家康の倍以上の経済力があったということになる。
慶長3(1598)年の豊臣氏の『蔵納目録』には4399枚の金、9万3365枚の銀があると記録されている。
これを石高に直すと、300万石に相当する。
つまり、この時点で、秀吉には領地からの収入220万石と合わせて520万石分と、家康の倍以上の経済力があったということになる。
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