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2016年12月7日水曜日

徳川家康の本拠地である江戸は片田舎にすぎず、秀吉の大阪とでは経済力に雲泥の差があった。
豊臣が滅んで100年後、江戸幕府は「享保の改革」を行うが、改革のテーマの一つが「大阪経済圏からの自立」だった。
徳川幕府下の江戸は首都であったにも関わらず、商工業は大阪経済圏に依存しきっていたのである。
酒の22%、木綿の34%、醤油の76%、油の76%、繰り綿(精製前の綿)に至っては100%を大阪からの輸送に頼っていた。

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