2016年5月6~9日にかけて、北朝鮮の平壌で朝鮮労働党第7回大会が行われた。
全開の第6回大会が開催されたのは、36年前であり、北朝鮮建国の父である金日成が主催した最期の党大会だった。
全開の第6回大会が開催されたのは、36年前であり、北朝鮮建国の父である金日成が主催した最期の党大会だった。
第6回大会で、金日成は全社会の主体思想化を提唱し、当時存在していたソ連・東欧諸国などの社会主義国が掲げていたマルクス・レーニン主義とは、一線を画したイデオロギーで北朝鮮を統治する方針を明確にした。
さらに金日成の息子の金正日が政治局常務委員に選ばれ、共産主義国としては異例の世襲体制の道筋がつけられた。
さらに金日成の息子の金正日が政治局常務委員に選ばれ、共産主義国としては異例の世襲体制の道筋がつけられた。
しかし、朝鮮労働党の最高指導機関である党大会は、1980年の第6回大会以前は、4年ごと、以降は5年後とに招集することと党規約で定められていたが、実際には46年8月、48年3月、56年4月、61年9月、70年11月、80年10月の6回しか開催されなかった。
金日成が非常事態だから党規約の規定を完全に適用することはできないとの理由で、党大会を開催しなかったと思われる。
1991年7月に金日成が死亡し、権力が金正日に移行した後、国家において占める朝鮮労働党の地位は形骸化させ、軍隊を重視する「先軍政治」を打ち出し、国家体制の軍事化を推し進めた。
2011年に金正日が死亡し、金正恩が権力を継承し、第7回大会で金正恩は従来の金日成主義を「金日成・金正日主義」に改め、その解釈権を自分が独占することを考えている。
かつてもスターリンが独裁体制を構築するにあたって、マルクス主義を「マルクス・レーニン主義」と改めて、その解釈権を独占した事例に似ている。
かつてもスターリンが独裁体制を構築するにあたって、マルクス主義を「マルクス・レーニン主義」と改めて、その解釈権を独占した事例に似ている。
また、従来、金正恩は朝鮮労働党第一書記だった。
これは故金正日労働党総書記が永遠の指導者であり、自分はその下の第一書記に留まるという遺訓政治の継承を示す者だった。
今回の第7回党大会で規約が改正され、朝鮮労働党委員長というポストが新設され、金正恩が就任した。
これは故金正日労働党総書記が永遠の指導者であり、自分はその下の第一書記に留まるという遺訓政治の継承を示す者だった。
今回の第7回党大会で規約が改正され、朝鮮労働党委員長というポストが新設され、金正恩が就任した。
これは1949年に南北朝鮮労働党が合同し、朝鮮労働党が結成された時に金日成が就いた役職が朝鮮労働党委員長であり、金正恩が祖父と対等であることが可視化された。
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