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2017年3月7日火曜日

外交は人である。
かつて「ロシア・スクール」には、国際的に一目置かれた外交官が何人もいたが、その1人が杉原千畝である。
杉原は1939年にリトアニアのカウナス(戦前の首都)領事代理として勤務した時に、外務本省からの訓令に反して、ユダヤ人に対する日本のトランジット・ビザ(通行査証)を発給したことは有名である。
1941年2月に、ドイツ占領下のチェコで在プラハ総領事代理として勤務していた杉原は、外務大臣に宛てて、「ここでは、リトアニア人と旧ポーランド人に発給したビザの数は2132枚、このうちユダヤ系については約1500枚と推定される」と公電を打っている。
ビザは1家族につき1枚あればよかったことから、杉原千畝が「命のビザ」によって救ったユダヤ人の数は、少なくとも6000人に上ると言われている。

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