宗教改革といっても、欧州のキリスト教とアラブのイスラム教では、全く別物である。
イエス・キリストが活動したのは、僅か3年くらいであり、神の子であるイエスかく語りき、というのは断片的である。
一方で、イスラム教の預言者ムサンマドは長生きで、コーランには彼が一気にしゃべったことが克明に綴られている。
コーランの1冊は丸ごと神の言葉であり、誰も挑戦することができず、中身を理性で吟味することはしない。
つまり、人間の理性、自由裁量の入る余地が極めて限定されているのかイスラム教なのである。
コーランの1冊は丸ごと神の言葉であり、誰も挑戦することができず、中身を理性で吟味することはしない。
つまり、人間の理性、自由裁量の入る余地が極めて限定されているのかイスラム教なのである。
そこで、「腐敗したイスラム教」をどう改革するかという話になると、原点に戻るしかなくなる。
つまりイスラム誕生時の振出に戻る「初期化」である。
つまりイスラム誕生時の振出に戻る「初期化」である。
従って、ISが正統カリフの時代を夢見るのは、ある意味では当然であり、現代のイスラム宗教改革とは過激派達によって「振り出しに戻す運動」に必然的になってしまうのである。
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