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2016年9月13日火曜日

東ドイツは1949年の建国の時点で、1200万から1300万人の人口を持ち、複数政党制を取っていた。
その政党の中に国民民主党というナチス党があり、党員は800万人だったという。
人口が少なく、「旧ナチス」というだけで戦犯にしていたら、国家建設ができなかったので、ナチス党が認められたのである。
1947年8月に、ソビエト軍事政府が政府指令を発し、名目だけの旧ナチス党員に社会復帰への道を開き、市民権や政治的権利を回復し、そして1948年には、非ナチ化の終了を正式に宣言している。
東ドイツの戦後復興のためにナチスの戦争責任を不明にし、旧ナチス党員を温存したことが、現在の旧東ドイツでネオナチが台頭している一因なのである。
旧東ドイツには、キリスト教民主同盟もあり、この政党がドイツ統一を牽引する機関車となるが、東ドイツの複数政党制というのは、議席を固定していので政権交代はなかった。

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