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2016年9月13日火曜日

ソ連が成立する1922年まで、中央アジアには国家は無かった。
当然、近代的な民族意識もなく、遊牧民には血縁に基づく部族意識、農耕民には定住すねオアシスを中心とする地理意識があり、両者に共通するのはイスラム教スンニ派という宗教意識だった。
テュルク系言語とペルシャ系言語の双方を話すバイリンガルも多くいた。
もともと中央アジアはテュルク系民族の土地で、帝政ロシアの時代は「トルキスタン(テュルクの地)」という一つの地域だった。
それが、19世紀までに中国とロシアによって東西に分割され、西トルキスタンをソ連が5つの民族・国に分けたのである。
その結果、中央アジアは、ソ連崩壊後に旧ソ連自治共和国から独立したカザフスタン、キルギス(タン)、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの「スタン」5カ国の旧・西トルキスタンと、現在の中国・新彊ウイグル自治区の旧・東トルキスタンに分かれしまった。

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