ヤマハの川上源一は、かつて人口ボーナス期の日本でピアノを作り、世界一のピアノメーカーを目指した。
当時の高度成長前夜の日本では、テレビも無い家も多く、ピアノを売ろうとしても貧しくて、買えるお金は持っていなかった。
そこで川上は、産婦人科で子供が生まれるところに立ち合い、「おめでとうございます。お子さんに将来ピアノなどはいかがてすか」と親に声をかけたという。
母親が「うちにはそんなお金はありません」と答えると、「ご心配なく。ヤマハレディが来月から毎月1000円だけピアノを買うための積立金を集めに伺います。4歳になったらヤマハ音がく教室に通ってください。ピアノが上達した頃、ちょうどお子さんの専用ピアノが手に入るだけのお金が貯まっています。」と言って、ピアノを売りまくったという。
結果、日本の一般家庭のピアノ普及率は20%となり、ドイツ、アメリカを抜き、世界一の国民普及率となった。
日本でも1人当りGDPが3000ドルの頃からピアノを習わせる親が増えたように、インドネシアではヤマハ奥がく教室が大人気になつている。
子供の情操教育、将来のために音楽を習わせたいという親心は世界共通なのである。
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