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2017年10月16日月曜日

日本の北方領土問題に関する基本政策は、冷戦時代以来の4島即時一括返還論から、2回変わっている。
1回目は1991年10月で、ソ連解体の頃である。
1991年8月にクーデター未遂事件を契機にソ連は崩壊するが、その直後にロシアのエリツィン大統領から「戦勝国と敗戦国の区別にとらわれず、法と正義の原則によって北方領土問題を解決したい」という内容の秘密書簡が届いたという。
そこで1991年10月に中山太郎外務大臣がモスクワを訪問し、「4島に対する日本の主権が確認されるならば、実際の返還の時期、態様、条件について柔軟に対処する」という日本の新しい立場を伝えている。
この方針は密かに伝えて、公表はしていない。
その後も日本政府は答弁や外務省パンフレットに少しずつ新方針を入れていき、分からないように方向転換をしており、国民に気付かれないように4島一括を徐々にフェードアウトさせてきた。
2回目が、2016年5月からの安倍首相の「新しいアプローチ」である。
この時から日本政府は「実際の返還の時期、態様、条件について柔軟に対処」とは一切言わなくなり、代わりに「4島に関する帰属の問題を解決して平和条約を締結する」と言い始めた。
これは1993年10月に細川首相とエリツィン大統領が署名した「日露関係に関する東京宣言」を踏襲し、4島の帰属について触れていない。
プーチン大統領は2016年12月に来日した際の記者会見で、「私たち(日露)の原点は1956年の日ソ共同宣言だ」と言っている。
そこには2島を引き渡すとあり、両国が調印し議会で批准している。
そして、歴史を振り返って「日本は1855年にその島々を受け取った」、つまりもともと4島は日本領だったと言っている。

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