Amazon

2016年8月11日木曜日

1931(昭和6)年12月の世界大恐慌の嵐のさなかに、蔵相が井上準之助から高橋是清に代わり、二・二六事件で凶弾に倒れるまでの5年間、高橋財政時の成長率は7%と圧倒的なパフォーマンスだった。
しかし、評価が難しいのは、高橋蔵相時代に軍事予算が急増し、昭和8年が65%、昭和9年が58%と、国家予算の半分以上を占め、軍事大国への道を後押ししたともいえる。
つまり、軍事予算が公共投資的な役割を果たしたのである。
近年、高橋財政とアベノミクスの共通点が指摘される。
高橋は短期的には金融リフレ政策を行い、円安を放置して、軍拡で需要を生み出し、長期的には構造改革に取り組もうとしていた。
確かに現在の行き詰まり状態に似ているが、高橋は大恐慌の板でから立ち上がると、直ぐに財政再建に着手し、昭和11年度予算で軍部と激しくぶつかるのである。
そして、昭和11年度予算では軍事費を45.7%まで縮小したことが、二・二六事件で高橋が狙われた遠因であったことは間違いない。
軍縮は軍令(作戦)と軍政(予算、人員)と絡んでしまうので、非常に厳しい政策なのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿