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2016年8月11日木曜日

吉田茂は首相として、軽武装・経済優先を押し通し、戦後日本の礎を築いた。
戦時中、親英米派として軍部から睨まれ、戦争末期にはヨハンセン(吉田反戦)と呼ばれる反戦グループを結成したとして弾圧された。
憲兵に逮捕されて入獄までした吉田は、親英米・反戦主義で一貫しているようにみえる。
しかし、こうした親英米派の顔を持つ一方で、対中国には武力も辞さない強硬派という側面もあった。
大正10年から昭和3年まで、吉田は天津、奉天の総領事を務め、一連の排日運動に対し、軍事力で抑え込む事を主張していた。
当時の吉田の本省への打電の中には、デモ鎮圧のために軍隊の出動を促す内容のものもある。
吉田は決して平和主義者だった訳では無く、力のバランスを見極めて、現実主義的な対応を行う伝統的な帝国主義外交の信奉者だったのである。

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