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2016年8月11日木曜日

1937(昭和12)年7月、盧溝橋で始まった戦闘が上海に飛び火して一挙に事変が拡大したが、日本政府は首都を占領すれば戦争は終了すると安易に考えていた。
この戦争を日本政府は正規の戦争ではなく、「事変」という形に留めおき、事変だから国際法を守ろうという意思が軍部にも働かなかった。
「事変」とせざるを得なかった事情もあった。
宣戦布告をした上での戦争となると、アメリカの中立法にひっかかってしまうからである。
1935年、アメリカは戦争状態に入った国への武器や軍需物資の輸出を禁ずるという法律を制定した。
これに引っかかると、アメリカから物資が入らなくなり、戦争遂行上、不利益益を被ることとなり、これは蒋介石の国民党政府も同様であり、両者の利害が一致して、双方とも宣戦布告をせずに「事変」という形になったのである。

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