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2016年8月11日木曜日

昭和前期に昭和天皇を最も身近で支えていた4人の側近がいた。
最後の元老と言われた西園寺公望、維新の元勲の子孫である牧野伸顕(大久保利通の次男)、木戸幸一(木戸孝允の孫)、そして近衛文麿だった。
中でも伊絵柄も含め、最も天皇に近かったのが近衛だった。
近衛は君臣関係という以上に、ファミリーの一員という意識が強かったという。
この4人の側近の間でも天皇との一体感において顕著な温度差が感じられた。
天皇に使え続けていた公家出身の西園寺と近衛は、皇室とは運命共同体として一体感を抱いていた。
しかし、明治以降の重臣出身である牧野と木戸は「お役目」としての側近、官僚としての側近であり、一体感は希薄だった。
二・二六事件の前年に、身の危険を感じた牧野が、天皇の懇願を振り切って内大臣を辞任した。
近衛も木戸も前後に、昭和天皇退位論を唱えるが、近衛の立脚点はあくまで「天皇家」の存続というファミリーとしてのものだったのに対し、戦後の木戸の言動と振る舞いからは天皇との距離が感じられる。

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