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2016年8月11日木曜日

第二次大戦の後半で、近衛文麿は和平運動に力を入れ、昭和20年2月14日に昭和天皇に早期和平を唱える上奏文を提出した。
いわゆる「近衛上奏分」である。
興味深いのは、この上奏文の後半で軍部の共産主義化を売れいている点である。
軍部内に共産主義者が跋扈しており、開戦もソ連と結託した軍部による陰謀だった、今すぐ和平を講じないと革命が起こりかねないという内容に、昭和天皇は驚き、参謀総長の梅津美治郎にその真意を確認したほどだった。
しかし、近衛は河上肇に師事したその思想的傾向や周囲にいた人々、行った政策をみると、むしろ近衛こそが共産主義化を招いた一人だった。
昭和研究会には、ゾルゲ事件の首謀者として逮捕・処刑された尾崎秀実や、戦後に左派社会党として活躍する風見章らが加わり、統制経済に関する研究などが行われ、政策にも大きな影響を与えた。
この近衛上奏文の矛盾について注目されるのが、後年の研究で吉田茂が執筆に関わっていたことが明らかになったのである。
軍部の共産化をあえて強い調子で盛り込んだのは、反共主義者として知られる吉田茂だったのである。
和平策を進めないとクーデターが起こり、天皇の身の安全も保証できないという「脅迫」まがいの文章は、近衛のような公家の手によるものとは確かに考えにくい。
目的のためには、天皇さえ脅し利用する、そな凄みを持ち合わせていた吉田でからこそ、戦後の占領期を乗り切れたのかもしれない。

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