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2016年8月4日木曜日

日本の外交は変なところで自主性がある。
自主外交というのは、良い事のように思われるが、ミャンマーの軍事政権とか、核開発をしているイランとは、アサド政権下のシリアとか、普遍的な価値観、人権とか自由といった価値観を守らない国との関係において、日本はアメリカの意向に反してでも関係を進めてしまう癖のある国である。
世界おいて、外交で「自主」ということを強調している国は、日本と北朝鮮人民共和国しかない。
外交というのは、どの国との同盟関係や協調を重視するか国益のためにやっているわけだから、本来「自主外交」というテーマが立つ事自体が決めてイデオギッシュとなる。
だから外交であまりにも「自主」を強調することには、違和感があり、ある意味で日本と北朝鮮は外交上のメンタリティが似ている。
要するに安倍政権の特徴は、「虐げられてきた保守派の代表」と主観的に思っていて、それが外交においても表に出てきている。
集団的自衛権を行使できるようにして、アメリカとの軍事的な協力関係をこれまで以上に高めていくことを、安倍政権は一生懸命やったが、これとバランスを取る形で自分の自主性をどこかで発揮したいと思いがある。
今回の一連の安保法制を見ても、現行憲法下で解釈改憲を行うことによって、安倍政権にとって必要かつ十分な日本の安全保障体制を確保できたにも関わらず、また憲法改正と言い出している。

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