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2016年8月4日木曜日

アイゼンハワーは1960年1月に大統領を退く時に、「軍産複合体」という言葉を使った有名な演説をした。
軍と産業界が結託して、国家の安全という美名の陰で、利益を増殖しているという指摘をした。
しかし、アイゼンハワーはこの演説の7年前、1953年12月8日に、「Atoms for Peace」(平和のための原子力)という演説をしており、自ら軍産複合体を成長させるきっかけを作っている。
わざわざ「真珠湾攻撃」が行われた日に、つまり日本を強く意識したメッセージとして、「Atoms for Peace」の演説をしているのである。
この演説で、アメリカは原爆開発の「マンハッタン計画」以降、抱え込んでいた核の軍事技術を民生の発電技術への転換に向けて転化すると同時に、「IAEA(国際原子力機関)」を設けて核燃料の軍事転用を防ぐ構想を明らかにした。
核技術を発電技術に転化して売ることで、日本を自由主義陣営に繋ぎ止めようという思惑を含んだ「Atoms for Peace」の演説だったのである。

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