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2016年9月21日水曜日

スターリンは、東京湾の米艦ミズリー号上で日本が降伏文書に署名した1945年9月2日に、「1904年の日露戦争でのロシア軍隊の敗北は、わが国に汚点を残し、40年間、この日が来るのを待っていた」という趣旨のラジオ演説をしている。
ロシアは2010年にこの日を第二次世界大戦戦勝記念日として祝日にしたが、プーチンは式典に出席しておらず、出席しないことで日本にシグナルを送っていた。
しかし、2015年9月2日の記念日の式典には、チタで出席した。
これに対して「日本がミズリー号で降伏文書調印をした日の式典に出席した」という批判が日本が上がったが、文句をつけるならば、「スターリンの演説の日の式単になぜ出席したのか」と言うべきであった。
「スターリンの歴史観をついに採用することになったのですね」と言って攻めれば、ロシア側がそうとう参るはずである。
ロシア政府は、スターリンとの連続性を指摘されるのを、もの凄く嫌がるのである。
この式典に関して重要なのは、チタという場所である。
チタでの式典に出たということは、日本がシベリア出兵の際に占領した地であることを、当然踏まえているからである。
つまり、ロシアのクリミア併合に対する日本政府が欧米と協調して制裁を加えた姿勢に対して、「日本がウクライナ問題を非難するならば、ロシアは日本にジリア出兵で侵略されたことを忘れていないぞ」というシグナルを出しているのである。

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