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2016年9月21日水曜日

日本がポツダム宣言をすぐに受入れなかったのは、そこにソ連の署名が無かったことも影響している。
ポツダム宣言が出された7月27日の時点で、軍中央が一番注目してのは、「天皇の地位」と「スターリンの署名の有無」だった。
それが無かったので、近衛特使のソ連訪問に関する打診の答えを待つことになったのである。
その返事が、ソ連の対日宣戦布告という形で、モスクワの佐藤大使に告げられるのは、スターリンとモロトフ外相がポツダムから帰ってきた8月8日である。
ポツダム宣言に関しては、スターリンは全く蚊帳の外に置かれ、米英中の共同宣言という形で出され、スターリンが署名したのは8月8日だった。
この事も、スターリンの対日参戦へ拍車をかけたのである。
結局、日本はソ連が参戦したきた8月9日以降、ポツダム宣言に記された天皇の地位があいまいなことから、この点を再確認するという方向へ進んでいく。

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