1945年7月に、731部隊の件で天皇に非が及ばないように、関東軍参謀だった皇族の竹田宮を東京に返し、代わりに瀬島隆三を送り込んだが、このとき瀬島は、自分からてを挙げて満州行きを希望している。
その理由は、上空でアメリカの戦闘機が飛び回っている日本にいるより満州のほうが安全だと思っていたからだという。
ドイツ降伏時に、ベルリン日本大使館外交官補だった吉野文六は、モスクワ経由で日本に帰国の際に新京に立ち寄ったとき、大使館幹部から「満州の方が安全だから本省に戻らず、新京の日本大使館に転勤を願いでたらどうだ」と勧められたという。
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