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2016年9月21日水曜日

日本が「大東亜戦争」と命名したのは、開戦後の1941年12月10日の大本営政府連絡会議においてである。
正式に決まるまで大揉めに揉め、海軍からは太平洋戦争あるいは対米英戦争という案が挙がった。
日本では古来から戦争の名前を場所ないし大戦相手の名称でよんできたではないか、という訳である。
他紙から、長篠の合戦、関ケ原の合戦は場所からとっているし、日露戦争は対戦国の名前からとっており、政府もそれを是とした。
それに対して陸軍は、大東亜共栄圏をつくることが目的であるから、大東亜戦争であると主張した。
そうなると広大な「大東亜」の範囲に、ソ連は入るのかという議論となり、陸軍の答えは、「もちろんソ連が出てくればソ連に進出するし、ドイツが中東に出て来たら、こっちもインドを超えて中東まで行く、全部含めて大東亜だ。」というものだった。
要するに大東亜戦争というのはイデオロギー臭の強い、誇大妄想だった。
つまりソ連からすると、日本は初めからソ連侵略の野心があったと、中立条約の精神に反しているということになるのである。

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