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2016年9月21日水曜日

米英ソによるポツダム会談は、1945年7月17日から8月2日にわたってソ連の占領地となったベルリン郊外のポツダムで開かれた。
日本に無条件降伏を迫るポツダム宣言が出されたのは7月26日で、8月14日に日本は天皇の「聖断」によって、これを受け入れた。
こうした流れを踏まえた上でポツダム会談から8月15日の玉音放送までをみると、ソ連の対日参戦とアメリカの原爆開発は、お互いを出し抜こうと競争していた事が見て取れる。
ソ連側の資料を読み込んで、ソ連の対日参戦の過程を詳細に追った『暗闘』でも、日本がポツダム宣言を受け入れたのは、原爆投下よりもソ連参戦の影響が大きかったとする見方をしている。
ポツダムに到着したトルーマンが、スチムソン陸軍長官からの一方で原爆実験に成功したと知らされたのが、階段が始まる前日の7月16日夜だった。
そしてチャーチルと相談し、対日投下について話し合いチャーチルも同意している。
一方で、スターリンはポツダム到着の翌17日に、ソ連軍の満州侵攻を予定の8月15日から9日に繰り上げろと、極東ソ連軍最高指令官ワシレフスキーに命令している。
ポツダム会談中の7月24日に、トルーマンは「われわれは新兵器を持っている」とスターリンに初めて伝えているが、スターリンは既にこの情報を知っていたと思われる。

暗闘(上) - スターリン、トルーマンと日本降伏 (中公文庫)

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