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2016年9月21日水曜日

原爆とソ連参戦のどちらが日本の降伏にとって決定的だったかというと、今でこそ原爆が大きな評価をされているが、当時はアメリカも含めて原爆に対して過小評価をしていたと思われる。
アメリカ自身が、原爆が一都市を吹き飛ばすほど凄い威力だというのは想定外だったようである。
そして、日本も広島の原爆でポツダム宣言受諾の方向に傾いたようでもない、とう説が戦後には主流となっている。
無条件降伏を迫るポツダム宣言が日本に到着したのは1945年7月27日であり、広島・長崎への原爆投下直後に受諾していないからである。
そもそもアメリカの当初案では、降伏にあたって日本が天皇の地位にこだわることが分かっていたので、「日本国民が選択すれば、天皇制を存置することができる」という条項を入れたものになっていた。
この天皇に関する条項を入れた上で、降伏しなければ原爆を使うぞと警告すれば、日本は無条件降伏を受け入れるのではないかと、5月中旬から「無条件降伏」の内容について検討をしていた。
しかし、その条項にスチムソン陸軍長官が反対した。
原爆の完成が刻々と近づいていたからであろう。
このようにポツダム宣言が出される2ヶ月前の時点では、アメリカでは日本にどうやって降伏させるか揉めていたが、7月16日にアラモゴードで原爆実験が成功し、その知らせを受けたトルーマンが最終的に天皇の地位に関する条項を消すように指示する。
そのような条項を入れなくても、原爆を使えば日本は降伏すると考えたのである。
『トルーマン回顧録』によると、原爆投下命令は、ポツダム宣言前の7月24日にすでに出ている。
この日付を知ると、よくアメリカが「日本がポツダム宣言を受諾しなかったから原爆を落とした」という説はウソという事が分かる。

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