独ソ戦で苦戦していたソ連は、日ソ中立条約の手前もあり、アメリカの対日参戦の要請になかなか応えなかった。
しかし、アメリカから相当な援助物資を得ている。
1941年10月から1945年4月までの間に、トラック42万7千台、戦車1万3千輌、航空機6700機、砲弾2200万発、銃弾9億9千発、軍靴550万足などを供給してもらっている。
ソ連軍がベルリンまで反攻した際、赤軍兵士を運んだトラックの殆どがアメリカ、イギリス、カナダ製だったという。
しかし、アメリカは上陸用船艇だけは送らなかったという。
ソ連軍が日本本土、つまり北海道に上陸することを恐れたからと言われている。
ソ連軍が日本本土、つまり北海道に上陸することを恐れたからと言われている。
0 件のコメント:
コメントを投稿