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2016年9月21日水曜日

1945年8月9日のソ連による満州侵攻という日付の意味に注目すると、スターリンの意思決定が合理的な形でなされているとは思えない。
1945年2月のヤルタ会談で、スターリンはドイツ降伏の3ヶ月後に参戦すると言っていた。
ソ連の対独戦勝記念場が5月9日だから、その3ヶ月後は8月9日となり、米英に対してヤルタ会談での対日参戦の約束を守ったという気持ちが強かったと思われる。
その後の9月2日のスターリン演説では、日露戦争の仇を撃つ、日露戦争で奪われた領土を取り返すというスローガンを掲げ、独ソ戦後で疲弊していたソ連軍兵士や国民を鼓舞し、対日参戦を加速させた。
つまり、スターリンの個人的な思いで、8月9日に満州へ侵攻することになったのである。
もともとの予定では8月23日だった。
ヨーロッパか戦線から軍隊を極東に移動するのに、そのくらいの期間がなければ間に合わなかったのを、8月15日に早められ、さらに無理を承知で9日に前倒したのである。
兵力が足りないからと、極東ソ連軍最高指令官のワシレフスキーは猛反対している。

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