佐藤栄作・首相と池田大作・創価学会会長との関係を具体的に示す記録として『佐藤栄作日記』(全6巻)がある。
これを読むと、相当に深い関係で、互いに利用し合っていたことがよく分かる。
『佐藤栄作日記』の中で、池田大作会長について初めて記述があるのが、1964年12月16日で、佐藤栄作が死去する1975年6月3日までに、37回の記録がある。
1964年12月16日に初めて記述された内容は、「二時すぎ公明党原島君の葬儀参列、池田会長に会ふ」という簡単なものだった。
前月の11月に佐藤内閣が発足し、公明党は11月17日に結成されている。
前月の11月に佐藤内閣が発足し、公明党は11月17日に結成されている。
その初対面の後、1年間は『佐藤栄作日記』に何も記載がないが、翌1965年12月17日に、自民党都連会長の加賀興宣が佐藤首相を訪ね、都の水道問題で池田会長と会うよう請願する所から、急速に親密になっていく。
池田会長の希望で、仲介役として富士銀行の岩佐頭取が指名されている。
佐藤首相と金融界のトップとが親しい関係である事は分かるが、新興宗教のトップと金融界のトップとの関係が不思議である。
佐藤首相と金融界のトップとが親しい関係である事は分かるが、新興宗教のトップと金融界のトップとの関係が不思議である。
実は当時、東京都の取引銀行を巡り、富士銀行と三菱銀行が争い、富士銀行が買った。
富士銀行は、東京都に強い影響力を持つ創価学会を利用したと言われている。
富士銀行は、東京都に強い影響力を持つ創価学会を利用したと言われている。