アメリカがソ連や社会主義を警戒するきっかけとなったのは、第二次世界大戦後に書かれたある論文だった。
1947年に『フォーリン・アフェアーズ』という雑誌に掲載された「ソヴィエトの行動の源泉」という論文だった。
ちなみに『フォーリン・アフェアーズ』はアメリカの外交方針を決める上で大きな影響力を持っており、大きな方針転換がある時は、誰かがまず個人の責任で、この雑誌に論文を発表し、反応を見たあと、その内容が高く評価されると政策として具体化されるようなる。
この論文の著者は匿名の「X」とされており、「X論文」とも呼ばれている。
しかし当初から執筆者は知られており、アメリカ国務省の性格企画本部長のジョージ・F・ケナンによって書かれた論文だった。
しかし当初から執筆者は知られており、アメリカ国務省の性格企画本部長のジョージ・F・ケナンによって書かれた論文だった。
ケナンは、何度もモスクワに赴任するソ連通だった。
1946年にモスクワから本国に送った長文の電報が、この「X論文」の原型で、その電報にはソ連という国が世界制覇を目指して膨張しており、徹底的な封じ込めが必要であると書かれていた。
1946年にモスクワから本国に送った長文の電報が、この「X論文」の原型で、その電報にはソ連という国が世界制覇を目指して膨張しており、徹底的な封じ込めが必要であると書かれていた。
これを受けてトルーマン大統領は、1823年にモンロー大統領が宣言した他国に干渉しない基本方針だった「モンロー・ドクトリン」を捨て、1947年に共産主義封じ込め政策「トルーマン・ドクトリン」を発表した。
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