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2017年2月23日木曜日

朝鮮通信使が日本に来ていたのは、朝鮮が日本に朝貢していたからだと、日本人は理解している。
しかし、朝鮮通信使は「巡察」という旗を掲げていた。
巡察とは辺境の様子を知るために見回ることである。
つまり、李氏朝鮮は自分達が中心で日本が辺境であると考えていたし、日本は自分達が中心で朝鮮が辺境だと考えた。
それを双方が翻訳しないままでも何とかなっていた。
しかし、近代になって翻訳の必要性が生じ、それによって色々な混乱も生じてくるようになった。

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