12世紀から13世紀のイタリア・フィレンツェに資本主義の始まりを象徴する2つの出来事があった。
1つ目は「利子」が事実上、容認されるようになったこと。
本来キリスト教では金利を受け取ることは禁止されており、正確には、中世後期から「高利貸し」が禁止されていた。
しかし、12世紀を通じて貨幣経済が社会生活に浸透するようになると、フィレンツェに資本家が登場し、金融が発達し始め、メディチ家のような銀行は、為替レートを利用して、こっそりと利子を取っていた。
利子とは、時間に値段をつけることであり、利子を取るという行為は、神の所有物である「時間」を人間が奪い取ることである。
そして、1215年のラテラノ公会議で、「利子が支配いの遅延に対する代償、両替商の労働に対する賃金、貸付資本の損失リスクの対価とみなされるときには、貨幣貸付に報酬がなされてもよい。そして33%が貨幣の正当な価格の認可ぎりぎりの線」と認められ、利子が事実上、容認された。
利子とは、時間に値段をつけることであり、利子を取るという行為は、神の所有物である「時間」を人間が奪い取ることである。
そして、1215年のラテラノ公会議で、「利子が支配いの遅延に対する代償、両替商の労働に対する賃金、貸付資本の損失リスクの対価とみなされるときには、貨幣貸付に報酬がなされてもよい。そして33%が貨幣の正当な価格の認可ぎりぎりの線」と認められ、利子が事実上、容認された。
2つ目は、12世紀にイタリアのボローニャ大学が、神聖ローマ皇帝から、大学として認められたこと。
13世紀にはローマ法王からの認可も受けた。
13世紀にはローマ法王からの認可も受けた。
中世も「知」も神の所有物だったが、ポローニャ大学の公認は、広く知識を普及することを意味し、いわば「知」を神から人間に移転させるきっかけが、ボローニャ大学の公認だったのである。
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