陸軍中央はノモンハン戦闘後の1940年に「ノモンハン事件研究委員会」を設置して研究しているが、この失敗に学んだとは思えない代物だったという。
ソ連はこのノモンハン戦闘を検証し、その後の対日戦に備えて、モンゴルの広大な草原に要塞を作っていたことが2009年から始まった調査で明らかになった。
2015年6月11日付の朝日新聞夕刊に、長大な対戦車壕跡の空撮が出ている。
2015年6月11日付の朝日新聞夕刊に、長大な対戦車壕跡の空撮が出ている。
ノモンハンの戦いの後、日本が攻めてくることを本気でソ連は怖れて、壕を掘り、基地を建設し、軍用鉄道を敷いたのが分かった。
鉄道はシベリア横断鉄道のソ連領の東端ボルジャ駅から南下してチョイバルサンに向かい、そこからさらに東に進んで満州国との国境手前まで400キロ以上に渡って結ばれていた。
ノモンハンの戦いの最中、鉄道はポルジャまでしか通っておらず、ソ連軍は日本の3倍以上の兵力、武器、物資をトラックで戦場まで730キロを輸送している。
この調査で1942年6月6日付で、スターリンからモンゴル当局宛てに「チョイバルサンから国境までの鉄道建設の調査を年内に追えよ」という指示があったことが、モンゴル防衛研究所の資料から分かった。
つまり、この軍用鉄道の建設は1942年以降ということになる。
つまり、この軍用鉄道の建設は1942年以降ということになる。
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