多摩霊園の第五区一種18側に、精魂塔というものがある。
名前も何も刻まれていない塔だが、戦後になって731部隊の生き残りが建てた慰霊塔である。
ハバロフロスク裁判で、柄澤少佐は刑が決まり(矯正労働20年)、1956年に日ソ共同宣言で恩赦となってにも関わらず、自死してしまう。
一方、矯正労働25年の刑を受けた川島少将は生き残って日本へ戻ってきている。
一方、矯正労働25年の刑を受けた川島少将は生き残って日本へ戻ってきている。
ここで行われる慰霊祭に、日本に帰ってきた川島少将は時々参加していたという。
731部隊の他のメンバーに、ハバロフスク裁判でソ連に秘密をしゃべったと攻められた際に、「俺は悪い事はしていない。天の命令によってやったとは言っていないんだから」と言い返していたという。
731部隊の他のメンバーに、ハバロフスク裁判でソ連に秘密をしゃべったと攻められた際に、「俺は悪い事はしていない。天の命令によってやったとは言っていないんだから」と言い返していたという。
確かに『ハバロフスク公判書類』を読む限り、天皇が作戦を認可してことには触れられていない。
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