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2016年9月18日日曜日

昭和の歴史を考えるとき、ノモンハン事件というのは、決定的な事件だった。
試練崩壊後、外交文書や共産党の文書が公開され、ベールに包まれていた歴史が、徐々に明らかになってきている。
この戦闘の死傷者数は、これまではソ連側の1万人に対して、日本側は1万8千から1万9千という数字が一般的だったが、2000年頃に出て来た数字によるとソ連側は2万5千人と日本より多い死傷者だった事が分かった。
日本ではノモンハン「事件」という呼称が一般的だが、1939年にモンゴルと満州国の国境紛争を発端に起きたこの争いは、事実上、それぞれを支配下に置くソ連と日本とが、真正面からぶつかった「戦争」だった。
ノモンハン事件は、日本軍にとって、まさに日露戦争以来の大戦争であり、日本軍はこの戦いで初めて近代戦を経験した。
戦車戦でも航空戦でもソ連の近代兵器を前に、手も足も出なかった。日露戦争以来34年間も日本陸軍は近代戦を戦ったことのない軍隊だった。

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