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2016年9月18日日曜日

『満ソ国境紛争処理要綱』が1939年に関東軍の正式な命令として各部隊に示達された。
東京の参謀本部の「侵されても侵さない」という国境警備の方針に反して、『満ソ国境紛争処理要綱』では、国境を越えて来た敵を殲滅するために、こちらも国境外へ兵を進めてよい、さらには国境が明確でない地域では防衛司令官が自主的に国境線を認定したほうが紛争防止に役立つという、明らかに挑発ととれるこの要綱を書いたのは、関東軍の作戦参謀・辻政信だった。
辻は終戦をタイのバンコクで迎え、戦犯指定から逃れるため、僧侶になりすまし中国やベトナムに潜伏する。
1950年になって戦犯にならずに済むことが分かると、逃亡時代を振り返って『潜行三千里』を出版し、これが爆発的に売れた。
自己弁護に徹した本ではあるが、痛快な冒険ストーリーで面白いことは面白い。
それで選挙に出馬して、衆議院議員に当選してしまう。
辻の最期は謎に包まれており、参議院議員に鞍替えして在任中の1961年にラオスで行方不明になっている。
反米的な態度でアジア政治に階級の恐れがあるとCIAが暗殺したという説から、中国共産党による拉致説まで、様々な憶測がされた。
辻の信奉者だった朝枝中佐によると、辻は中国潜伏中に蒋介石に匿われて重慶にいたという。
その時の体験談は『潜行三千里』にも書かれているが、その時期に黄金の三角地帯と呼ばれるタイ・ラオス・ミャンマーが国境を接する山岳地帯でアヘンを仕入れて、かなりの量を隠匿していたという。
謎の失踪を遂げた年に、辻はそれを取りに行き、回収して中国で売り、日本での選挙資金にするつもりだったようである。
ところが預けていた相手が代替わりしていたため、トラブルに巻き込まれたというが、真偽のほどは分からない。

潜行三千里 新書版

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