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2016年9月18日日曜日

風船爆弾は、1944年11月から翌1945年4月にかけて、約9000個が放球され、そのうち1割が北米大陸に到着したいとう。
ボヤ程度の森林火災が2件、ワシントン州ハンフォードにあった原子爆弾製造工場の電線に落ち、電流が一時的に中断したという記録がある。
全工場の原子炉の安全装置の引き金が引かれて、全能力回復まで3日を要したと言われている。
もちろん、アメリカの資料では、すぐさま復旧したとなっている。
風船爆弾は千葉の一宮や茨城の大津から放球しているが、北海道の根室から飛ばしていれば、もっと多く北米大陸に届いていたはずだが、失敗してカムチャッカ半島に落ちる可能性があり、ソ連参戦の口実を与えてしまう恐れを避けるため、太平洋側から放球したと思われる。
風船爆弾はもともと、対ソ戦に備えて、宣伝ビラを撒くために開発されたものだった。

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