関東軍参謀で作戦主任の服部卓四郎と、同じく作戦参謀の辻政信は、陸軍大学で服部が辻の一期先輩にあたるが、二人とも恩賜の軍刀組と呼ばれる成績優秀者で稀にみる秀才だったという。
服部と辻二人が、ノモンハン事件を主導して日本を太平洋戦争へと駆り立てたのに呼応して、ノモンハンでの戦闘が第二次世界大戦の始まりだったとする『ノモンハン1939』という本がある。
原著は2012年にアメリカでで出版され、著者は米国議会図書館議会調査局の専門調査員の経験があり、ロシアの資料保管所を当り、さらにモンゴルでの現地取材や日本語文献にも目を通して書いたという。
原著は2012年にアメリカでで出版され、著者は米国議会図書館議会調査局の専門調査員の経験があり、ロシアの資料保管所を当り、さらにモンゴルでの現地取材や日本語文献にも目を通して書いたという。
この本で特に注目されているのは、ノモンハンでの戦いと独ソ不可侵条約の関係で、ジューコフ軍司令官が200機を超える爆撃機でハルハ河越えの大攻勢をかけたのが8月20日で、その日から24日にかけてノモンハンの戦いがピークに達している。
それと同じ頃に、独ソ不可侵条約が8月23日に調印されている。
これで英仏とソ連の二正面作戦を回避することに成功したヒトラーは、その一週間後、ポーランドに侵攻を開始し、第二次世界大戦が始まるのである。
これで英仏とソ連の二正面作戦を回避することに成功したヒトラーは、その一週間後、ポーランドに侵攻を開始し、第二次世界大戦が始まるのである。
9月17日にはソ連軍もポーランドとの国境を越える。
独ソ不可侵条約の秘密合意事項として、ソ連もポーランドに侵攻かると約束していたからである。
独ソ不可侵条約の秘密合意事項として、ソ連もポーランドに侵攻かると約束していたからである。
ノモンハンでの停戦合意が日本と試練との間で成立したのが9月15日だから、スターリンは後顧の憂いを断って、ヒトラーとの約束を果たしたことになる。
スターリンとしても、目の前にはヒトラーが迫り、東方では日本の関東軍がちょっかいを出していて、しかもその日独が軍事同盟を結ぼうとしているという状況にあって、何としても二正面作戦を避け、ノモンハンでの戦いに早くケリをつけたかったのである。
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