実際に風船に最近爆弾を載せる計画を準備していた証拠として、風船爆弾研究の協力者として、陸軍気象部や中央気象台の技師たちと並んで、内藤良一中佐が加わっていた事が分かっている。
内藤良一は、軍医学校防疫研究室の責任者で、この内藤の富号作戦部隊における任務は、「経度信管」の研究だという。
信管であれば、爆弾の信管が破裂するかどうかという問題だから第八技術研究所の担当であり、陸軍医学校の人間が担当するのは筋違いであった。
信管であれば、爆弾の信管が破裂するかどうかという問題だから第八技術研究所の担当であり、陸軍医学校の人間が担当するのは筋違いであった。
この内藤良一というのは、731部隊長の石井四郎の直属の部下位゛、戦後にミドリ十字の社長となる人物であった。
つまり、風船爆弾に最近兵器を載せるための準備を、この内藤中佐が研究担当としてやっていた可能性は高いと思われる。
もしも風船爆弾をアメリカに飛ばして細菌高下はを行っていれば、アメリカ軍は、硫黄島と沖縄で毒ガスを使用した可能性は高く、日本人は滅亡させられていたかもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿