フィリピンの法律で定められたメイドの最低賃金は、マニラ首都圏では1ヶ月2500ペソ(日本円で6750円)である。
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2016年5月30日月曜日
フィリピンで永住に必要な主なビザは、特別居住退職者ビザと結婚ビザの2種類で、退職者ビザは35歳以上の外国人であれば原則、誰でも取得できる。
指定の銀行口座に収める定期預金額は、年齢によって異なるが、1万から5万米ドルでよく、マレーシアやタイと比べて安く済む。
フィリピンで退職者ビザの制度が始まったのは1987年で、マルコス独裁政権を民衆の力で崩壊させた翌年のことである。
1988年には日本人5人が退職者ビザを取得しており、その後は毎年数十人単位で増え続け、2000年に初めて年間100人を突破し、2006年には200人を超え、2014年には退職者ビザを取得した日本人の総数が3020人となっている。
日本で退職者の海外移住が話題に上り始めたのは、通商産業省が1986年に打ち出した「シルバーコロンビア計画」が発端である。
これは「シルバーコロンビア計画"92"、豊かな第二の人生を海外で過ごすための『海外居住支援事業』」のことで、1992年を実現の目標として、コロンブスがアメリカ大陸をはけっんした1492年からちょうど500年後に、シルバー世代にとっての新天地を海外に造ろうという意味が込められていた。
この計画は発表後に注目を集めたが、「車の次は老人の輸出か!」という厳しい批判が国内外から相次ぎ、内容は修正された。
当時はまだ、欧米が退職者にとっての海外移住先と考えられていた。
当時はまだ、欧米が退職者にとっての海外移住先と考えられていた。
そして、日本でバブルが崩壊した1990年初頭以降、盗難アジア諸国が経済成長を遂げ、退職者の移住先として注目を浴びるようになった。
ロングステイ財団の『ロングステイ統計2014』によると、海外でロングステイ(2週間以上の滞在)する人口推計は、バブル崩壊時の1992年に90万7千人だったのが、2013年には155万6千人へと60万人以上増えている。
2016年5月27日金曜日
バブル崩壊の引き金を引いたと言われる大蔵省の総量規制(銀行に対して不動産融資を抑えろという行政指導)について、当時の大蔵大臣・橋本龍太郎は「銀行経営の独自性が求められていて、これまでのように銀行指導は難しくなっている。日銀にも規制の強制はできないんだ。だから固定資産税を思いっきり税金で取ったらいい」と当時の自民党税制調査会会長だった塩川正十郎氏に言ったという。
そこで、発案されたのが土地を買ったら税金を取るという「地価税」だった。
最初は法人だけを対象にしようとしていたが、所有権が個人のものも多くあったので、法人・個人同等とされた。
課税対象は1000平方メートル以上、税率は薄くすると大枠が決まった。
最初は法人だけを対象にしようとしていたが、所有権が個人のものも多くあったので、法人・個人同等とされた。
課税対象は1000平方メートル以上、税率は薄くすると大枠が決まった。
地価税法が可決されたのは、翌1991年4月で、前年の大枠決定後に、地価税課税の方針を発表した時点で、バブルは弾けて、既に土地ブームは収まっており、地価税の導入がバブル終焉の決定打となって、結果的にトドメを刺してまった。
この地価税は1992年から1997年まで課税された後、正常な土地取引に戻ったという事で、現在は課税が停止されている。
しかし法律は生きているので、再び土地の不当なバブルが発生した時には、速やかにこの税を宣告して抑制が可能な状態となっている。
しかし法律は生きているので、再び土地の不当なバブルが発生した時には、速やかにこの税を宣告して抑制が可能な状態となっている。
プラザ合意により、急激な円高となった結果、新日本製鉄は毎日3億円の赤字となったという。
ピーク時1973年の生産量4100万トンから、2400万トンに生産量を落としても利益を出す体質に切り替える為に、13基あった高炉を一気に5基(広畑、堺、釜石、室蘭、八幡)減らし、要員2万人削減を決定した。
そして、北九州の八幡製鉄所の遊休地にスペースワールドを開業し、介護付きホーム、大豆たんばく、洋ラン、マッシュルーム栽培から魚の養殖まで、多角化経営によりリストラした従業員の雇用を創出した。
アメリカでノート型パソコンの製造までしていた。
アメリカでノート型パソコンの製造までしていた。
雇用を創出しても新規事業の収益は低く、従業員の給料は3割程度になってしまい、差額の7割は新日鐵が負担した。
その補助金だけで、年間900億円になったこともあったという。
従業員はに53歳から協力会社に転職させ、転職先の給料が65%に下がるので、その差額を特別退職金として退職時に上乗せし、60歳定年まで新日鐵で務めていたのと同じ生涯所得を保障したという。
その補助金だけで、年間900億円になったこともあったという。
従業員はに53歳から協力会社に転職させ、転職先の給料が65%に下がるので、その差額を特別退職金として退職時に上乗せし、60歳定年まで新日鐵で務めていたのと同じ生涯所得を保障したという。
新日鐵は高度成長期の株の持ち合いによる含み益を半分以上吐き出して、これらに充てたという。
近代日本は、ほぼ40年ごとに転機を迎えている。
まず明治維新(1868年)から40年間は脱亜入欧を掲げ、必死に先進国に追いつこうとし、軍艦を買い1905年には日露戦争をやってのけた。
その後帝国主義に陥り、戦争に突入する。
日露戦争に勝ってから太平洋戦争で1945年に敗戦を迎えるまでが、ちょうど40年である。
日露戦争に勝ってから太平洋戦争で1945年に敗戦を迎えるまでが、ちょうど40年である。
次の40年は日本の発展期で、前半の20年は10%の高度成長、後半はニクソンショック(1971)年、オイルショック(1973年、1979年)があり、4.5%の安定成長となった。
このように1985年までの40年間の成長期が続いた後は、5年間のバブルがあり、そのバブルが崩壊してから今日まで、日本経済は殆ど成長せずに成長率は平均1%以下の横這いとなっている。
田中角栄内閣が列島改造構想を打ち出した翌年の1973年にオイルショックが起こり、物価と地価が高騰し、列島改造を進めるための基本条件が変わってしまい、田中内閣は列島改造構想を断念せざるを得なくなった。
その経緯には政治的ストーリーがあった。
その経緯には政治的ストーリーがあった。
オイルショック下での予算編成の最中に、愛知一揆大蔵大臣が突然亡くなり、悩んだ挙句に田中総理は、政敵の福田赳夫に後任を打診する。
福田赳夫から「列島改造構想を止めるなら、蔵相を引き受ける」と返事をされ、田中総理は一日考えて、福田の要求を呑むこととなった。
そうしてインフレ克服のために総需要抑制策が取られ、公共事業予算が圧縮されて、列島改造構想は挫折したのである。
しかし、その後年、米国から日本は輸出依存ではなく内需振興しろと言われ、政策の柱になったのが、道路、港湾の整備計画などの公共事業投資で、そのベースになったのが列島改造の考えだった分けでり、田中角栄の哲学は現在のアベノミクスでも生き続けているのである。
田中角栄内閣が発足する1ヶ月前の1972年6月に出版された『日本列島改造論』は、一部地域に集中した工業の再配置、都市改造と「新25万人都市」の整備、これらの地域を結ぶ全国的なネットワーク整備により、経済の活力を日本列島全域に展開するという内容だった。
この本の出版は、田中角栄が通産大臣に就任して半年後に、通産省出身秘書官だった小長啓一氏に、国土開発・都市問題に関する自分なりの政策案の集大成を論文にしたいという相談がきっかけだったという。
この相談を受け、堺屋太一氏を含めた若手通産官僚、日刊工業新聞社の記者十数人が参加して、6~7時間のレクチャーを4回開き、全体の骨子を小長啓一氏がまとめ、執筆は各章ごとに担当分けをして、最終的に小長氏が文体を統一してまとめたという。
4回のレクチャーを全て聞いたのは小坂氏と早坂茂三氏だけだった。
はしがきと結びは田中角栄自身が書いたという。
4回のレクチャーを全て聞いたのは小坂氏と早坂茂三氏だけだった。
はしがきと結びは田中角栄自身が書いたという。
執筆作業時は、総裁選は意識しておらず、田中角栄からも「1年ぐらいかけて仕上げてくればいい」と言われていたのが、総裁選挙の3、4ヶ月前に田中派幹部の二階堂進氏から突然呼び出され、「田中さん、今度の総裁選挙で総裁候補になるだろうから、間に合う良いに用意してくれ」と言われ、慌てて休日返上で仕上げた結果、総裁選出馬のマニフェストとなった。
この本がベストセラーになって、田中角栄が「じゃあ、俺も読んでみようかな」と言ったという笑い話もあるが、小長氏から本の構成や趣旨は田中に逐一説明していたので、細目を読んでみようという事だったようである。
『日本列島改造論』
ユーロ成立の前提には、第二次大戦の反省から、ドイツとフランスが手打ちをして、政治はフランスに任せ、ドイツはヨーロッパをそのまま強い経済力で陰から支えるというのが、暗黙の了解だった。
ところが、ギリシャの財政問題で経済力の強さを背景にしたドイツが、政治にも前面に出てきてしまった。
つまりドイツが反発を招いているのは、この暗黙の了解を破ったからなのである。
つまりドイツが反発を招いているのは、この暗黙の了解を破ったからなのである。
ユーロは裏にかつて米ドルに次ぐ強い国際通貨だったドイツマルクがあるので価値がある。
その強いマルクを捨てて、ドイツがユーロを支えているという背景を信頼しているのである。
その強いマルクを捨てて、ドイツがユーロを支えているという背景を信頼しているのである。
ちなみにドイツは1990年の東西ドイツ統一によって、経済がガタガタになり「欧州の病人」と言われたが、1999年にマルクより信頼度の低い、安いユーロの導入により、事実上の通貨安政策を取る事で輸出力が大幅に伸び、急激に経済を回復させた。
2001年のエンロン事件後、アメリカではSOX法ができ、財務の専門知識を持った社外取締役が経営を監視することが求められるようになった。
それ以来、社外取締役が会社経営にプラスの効果を持つという研究報告が出ているが、本当に社外取締役の効果なのか、法的規制の効果なのか、景気が回復して会社の業績が好転したのか、よく分かっていない。
逆に、社外取締役の数を増やすと経営が悪くなるという研究結果も多く存在する。
委員会等設置会社とは、経営者自身の倫理ではなく、社外取締役に監視を任せる仕組みである。
自分を任命してくれた社長に悪い事は言えず、経営者は忠実義務違反で訴えられても、社外取締役に責任を転嫁では、社外取締役の方は、社内事情を知らなかったという言い逃れができる仕組みなのである。
結局は、お手盛りで役員報酬をいくらでも上げられる構造になってしまう。
自分を任命してくれた社長に悪い事は言えず、経営者は忠実義務違反で訴えられても、社外取締役に責任を転嫁では、社外取締役の方は、社内事情を知らなかったという言い逃れができる仕組みなのである。
結局は、お手盛りで役員報酬をいくらでも上げられる構造になってしまう。
この事を証明する例として、ソニーはずっと収益が上がらず赤字を続けていたのに、2005年に社長に就任したストリンガー氏の報酬は上がり続け、2012年期では4500億円の赤字にもかかわらず、役員報酬は8億円を貰っていた。
また、かつてアメリカン航空の経営陣が、業績悪化を理由に従業員の給与を340億円カットして、それを実績に200億円分をボーナスにしようとした事もある。
2016年5月22日日曜日
2016年5月21日土曜日
科学雑誌『サイエンス』によると、世界の未発見で、掘削可能な天然ガス資源の30%と石油資源の13%は北極圏に眠っていると報告されている。
石油については世界の需給に大きな影響ほ与えるほとではないが、天然ガス資源は世界の年間消費量の14年分に相当する量があるという。
しかもこれらの天然ガス資源や石油資源の殆どが、水深500メートル程度の浅い場所に埋蔵されているという。
現在、地球温暖化の影響もあり、NASAは北極圏が氷で覆われている面積が観測史上、過去最少の記録を更新し続けていると発表している。
従来は厚い氷に閉ざされて通好不能だった北極海周辺は、既に夏場には一部が通行可能なルートがあり、数年後には一年中の航行が可能なルへとが開拓できそうな状況となっている。
従来は厚い氷に閉ざされて通好不能だった北極海周辺は、既に夏場には一部が通行可能なルートがあり、数年後には一年中の航行が可能なルへとが開拓できそうな状況となっている。
大西洋から北極海を経由して太平洋へ出る新たな海洋航路ルートとなる「北極海航路」は、例えばノルウェーやロシアから上海・横浜へ抜けるためには、スエズ運河経由だと39日かかるが、北極海ルートで行けば20日に短縮できるという。
世界で紛争や迫害を受けて、自国を出ていかなければ生きていけない「難民」が急速に増えている。
国連の難民高等弁務官事務所(UNHCR)の調べでは、2014年末の時点で難民は世界で5950万人に上り、過去最多となっている。
しかも、これら難民の5割以上が子供である。
しかも、これら難民の5割以上が子供である。
ちなみに、日本で2014年に難民申請した人は約5000人いたが、認定されたのは11人だけである。
シリア難民もこれまで60人ほどが難民申請しているが、認定されたのは1家族の3人だけである。
シリア難民もこれまで60人ほどが難民申請しているが、認定されたのは1家族の3人だけである。
日本国内の手続きは「出入国管理及び難民認定法」によって、日本で難民の申請を希望する者は、まず法務省入国管理局に登録し、入国審査官による審査などを経て、審査が通れば「難民」として法務大臣かに認定される。
イスラエルと対立しているパレスチナのイスラム原理主義過激派は「ハマス」と呼ばれるが、正式名称は「イスラム抵抗運動」で、その頭文字をとって「ハマス」になり、アラビア語で「情熱」を意味している。
ハマスは1987年に設立されたが、その母体は1928年にエジプトで創設され、中東各地に広がっていたイスラム原理主義の組織である「ムスリム同胞団」のパレスチナ支部から誕生している。
ハマスが設立された当時、パレスチナで最大の勢力を誇っていたのは、アラファト議長が率いる「パレスチナ解放機構(PLO)」で、ハマスはPLOと対立していたので、イスラエル政府はハマスを援助していた。
しかし、現在はそのハマスとイスラエルが激しい衝突をしているのである。
しかし、現在はそのハマスとイスラエルが激しい衝突をしているのである。
2016年5月17日火曜日
インフレ率2%が達成された場合、どのようなモノが2%値上がりするのかを知る必要がある。
多くの人は、インフレ2%で、マンション価格、家賃、給料、野菜など様々なモノの価格が平均して2%上ると考えているが、これは正しくない。
多くの人は、インフレ2%で、マンション価格、家賃、給料、野菜など様々なモノの価格が平均して2%上ると考えているが、これは正しくない。
インフレ率とは、コアCPI(消費者物価指数のうち生鮮食料品を除いたもの)を意味しており、家賃、食品、公共料金、保険、ガソリンなど、どちらかといえば所得が低い世帯が、多く支出する品目の値段の加重平均価格の推移である。
そして、このインフレ率には、給料、マンション価格や株価は考慮されていない事が重要である。
アベノミクスで量的緩和が始まってから2年で、都心の高級マンションは2割以上値上がりしたにもかかわらず、インフレ率が伸び悩んでいる理由はそこにある。
米国の不動産市況の概況を知るには、住宅着工件数、中古住宅販売件数、新築住宅販売件数の3つを見ればよいが、これらの指標は米国全体の集計値である。
役に立つのが、ケース・シラー住宅価格指数で、ノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラ―教授の名前が付けられ、米国を20都市に分けて、地域ごとに集計しているのが特徴である。
ケース・シラ―指数を見ると、住宅バブルの時には、富裕層が集まるビーチリゾートのマイアミの上昇率が最も高く、次に西海岸最大の都市で不動産価格も高いロサンゼルス、ラスベガス、首都ワシントンDCと、人気の高級エリアが続いて上昇している。
一方で、住宅バブルでもデトロイト、ダラス、デンバーなど、小規模な地方都市は、それほど不動産価格は上昇していない。
つまり、景気が良くなると不動産は一番いいところから順番に上昇し、バブル化した不動産市場の投資マネーは一等地を好む傾向にある。
この傾向は、いつの時代でも世界中で繰り返される普遍的な動きとなっている。
連邦公開市場委員会(FOMC)の声明を見ているとFRBは、米国の利上げのタイミングについて3つの要素を考慮していると考えられる。
1.米国の雇用
米国の雇用統計で重要なのは、失業率と非農業部門雇用者数であり、イエレンFRB議長は雇用には特に神経質になっている。
米企業は業績に応じて人員削減を頻繁に行うため、米国の雇用統計は日本よりも景気に対して敏感に反応する。
米国の雇用統計で重要なのは、失業率と非農業部門雇用者数であり、イエレンFRB議長は雇用には特に神経質になっている。
米企業は業績に応じて人員削減を頻繁に行うため、米国の雇用統計は日本よりも景気に対して敏感に反応する。
2.不動産市場
米国には様々な不動産指標があるが、住宅着工件数、中古住宅販売件数、新築住宅販売件数の3つが最も注目されている。
米国には様々な不動産指標があるが、住宅着工件数、中古住宅販売件数、新築住宅販売件数の3つが最も注目されている。
3.金市場に影響の大きいイベント
米国の実態経済と経済指標だけではなく、ギリシャ問題、ロシア通貨危機なとの世界的な経済イベントも考慮して、利上げ時期を判断している。
米国の実態経済と経済指標だけではなく、ギリシャ問題、ロシア通貨危機なとの世界的な経済イベントも考慮して、利上げ時期を判断している。
ゴールドマン・サックス・グループ経済調査部のレポート「More than an Acronym」(2007年4月)の中で、2050年までにネクスト11のGDPはG7の3分の2に達する可能性があると予測されている。
<ネクスト11>
韓国
インドネシア
フィリピン
ベトナム
バングラデシュ
パキスタン
イラン
エジプト
トルコ
ナイジェリア
メキシコ
韓国
インドネシア
フィリピン
ベトナム
バングラデシュ
パキスタン
イラン
エジプト
トルコ
ナイジェリア
メキシコ
「More than an Acronym」(2007年4月)
『日本の地価が3分の1になる! 2020年 東京オリンピック後の危機』(2014年9月刊)では、2040年に日本の地価が現在の3分の1にまで下落すると予測されている。
同書では、エリアごとの人口減少比率が紹介されており、2040年時点で杉並区71%減、渋谷区70%減、新宿区51%減、横浜市66%減、大阪市61%減、仙台市68%減、名古屋市60%減、福岡市67%減と、東京23区を始めとした日本の主要都市の人口減少に歯止めがかからず、消滅の可能性を指摘している。
また20~64歳に対する65歳以上の割合である「現役世帯負担率」に注目しており、現役世帯負担率が上がるほど地価を押し下げるとしている。
このまま現役世帯負担率が上がり続ければ、日本全体の地価は2010年から2040年にかけて毎年平均3.1%下がり、30年で62%下落してしまうという。
2016年5月9日月曜日
この20年の中国の経済発展の原動力になってきたのが、土地バブルである。
中国の土地は全て共産党のもので、その開発権限を握っているのは地方の共産党であり、各自治体である。
中国の土地は全て共産党のもので、その開発権限を握っているのは地方の共産党であり、各自治体である。
農民に貸与されていた農地を地方自治体は一方的に買い上げる事ができる。
買い上げ価格は将来的に農業を続けた場合の収益還元法で決定し、安く買い叩いた土地を商業地に指定替えして、民間のデベロッパーに49年や74年リースで転売する。
買い上げ価格は将来的に農業を続けた場合の収益還元法で決定し、安く買い叩いた土地を商業地に指定替えして、民間のデベロッパーに49年や74年リースで転売する。
その時に商業施設や工業団地を作り、物流基地やこうわんとして開発した後の将来価値で売りつけるので、50倍、100倍の値段に吊り上げられる。
土地の名目を変更しただけで膨大なリース料に基づく現在価値に相当する現金が入ってくるので、中国の各自治体は税金に依ることなく、都市建設や産業基盤の整備が可能となった。
地方都市ではこの週にゆうが税収とほぼ同額となり、この土地マジックによって中国には人口100万人以上の巨大な地方都市を180以上も作り上げることができた。
地方都市ではこの週にゆうが税収とほぼ同額となり、この土地マジックによって中国には人口100万人以上の巨大な地方都市を180以上も作り上げることができた。
日本人の多くが、日ソ中立条約があったにもかかわらず、日本がポツダム宣言を受託して無条件降伏した後に、ソ連軍が侵攻を続け、北方領土を不法占拠し、以来、実行支配が続いていると思い込んでいる。
しかし、史実は異なる。
連合国側で戦後の対日政策が最初に協議は、1943年12月1日に開かれたカイロ会談で、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中国国民政府主席の3首脳により、日本が占領した太平洋の島々の剥奪、満州、台湾、澎湖島の中国返還、朝鮮独立を盛り込んだカイロ宣言が発せられ、その後のポツダム宣言に繋がっていく。
その後、1945年のヤルタ会談では、ドイツの分割統治、ポーランドの国境策定など主に欧州の戦後処理を中心に協議された。
対日政策については、ヤルタ会談に先立って、1945年2月11日にルーズベルト米大統領、スターリンソ連共産党書記長、チャーチル英首相の間で秘密協定が交わされ、「ヤルタ協定」として取りまとめられた。
対日政策については、ヤルタ会談に先立って、1945年2月11日にルーズベルト米大統領、スターリンソ連共産党書記長、チャーチル英首相の間で秘密協定が交わされ、「ヤルタ協定」として取りまとめられた。
スターリンは南樺太の返還と千島列島の領有を主張し、ルーズベルトはこれを認める代わりに、スターリンに日ソ中立条約の破棄と対日参戦を求めた。
このヤルタ協定で、ドイツ降伏後2ヶ月ないしは3ヶ月というソ連の対日参戦の時期が決定した。
このヤルタ協定で、ドイツ降伏後2ヶ月ないしは3ヶ月というソ連の対日参戦の時期が決定した。
ソ連は1945年4月5日に日ソ中立条約の不延長を通告し、ドイツが無条件降伏した1945年5月の3ヶ月後に当たる8月8日にソ連は日本に宣戦布告して、ソ連軍は満州、南樺太、朝鮮半島に侵攻した。
千島列島に到達したのは、日本がポツダム宣言を受諾した8月14日だった。
千島列島に到達したのは、日本がポツダム宣言を受諾した8月14日だった。
従って、ソ連が日ソ中立条約を破り、南千島を不当占拠したという日本政府の主張は間違いであり、戦争は既に終わっており、日本は無条件降伏していたのである。
満州、南樺太、千島列島に対するソ連の出兵はアメリカの強い要請であり、戦利品として北方四島を含む千島列島をソ連が得ることをアメリカは承認していたのである。
実は当時、スターリンは北海道を南北に割って北半分をソ連が占領する事をルーズベルトに要求していた。
しかしドイツ降伏直前にルーズベルトは病死し、後任のトルーマンはスターリンの要求を拒絶し、代わりに南樺太の返還と南クリル(北方四島)を含めた千島列島の領有をソ連に提案したのである。
しかしドイツ降伏直前にルーズベルトは病死し、後任のトルーマンはスターリンの要求を拒絶し、代わりに南樺太の返還と南クリル(北方四島)を含めた千島列島の領有をソ連に提案したのである。
このことを日本政府は理解していた為、戦後10年以上北方領土の返還を求めず、1951年のサンフランシスコ講和条約においては、早期講和のために日本は千島列島の領有権を一度放棄している。
日本政府が「放棄した千島列島に北方四島は含まれない」という立場を取るようになったのは、日ソ共同宣言が出された1956年になってからである。
サンフランシスコ講和条約にソ連はサインをしていないので、日ソの国交正常化は日ソ共同宣言によってなされるが、この時に平和条約を締結した後に、歯舞、色丹の2島返還で両国は妥結寸前まで交渉が進んでいた。
しかし1956年8月に重光外相とダレス米国務長官によるロンドン会談で、沖縄返還の条件としてソ連に対して北方四島の一括返還を求めるように迫られ、ソ連との交渉を断念。
平和条約は結ばれず、1956年10月に署名された日ソ共同宣言では領土問題は先送りとなった。
しかし1956年8月に重光外相とダレス米国務長官によるロンドン会談で、沖縄返還の条件としてソ連に対して北方四島の一括返還を求めるように迫られ、ソ連との交渉を断念。
平和条約は結ばれず、1956年10月に署名された日ソ共同宣言では領土問題は先送りとなった。
基地問題で沖縄が炎上を繰り返す根本的な理由は、沖縄返還の真実を日本政府が国民に説明してこなかったことにある。
1972年沖縄返還に際して、アメリカ政府は「軍政がこれまで通りならば、民生については返還する」という条件を出したのに対して、日本政府はこの事を説明せずに沖縄返還の手柄だけを国民にアピールした。
軍政が残された以上、米軍が沖縄の米軍基地に核を持ち込もうが、貯蔵しようが日本政府は文句を言えなかった。
そして日本の防衛とは関係のない、ベトナム戦争や湾岸戦争にも沖縄の米軍基地を使用してきた。
そして日本の防衛とは関係のない、ベトナム戦争や湾岸戦争にも沖縄の米軍基地を使用してきた。
「民生だけ返す」という日米両政府の密約を、日本国民に説明しない代償として、日本政府は沖縄振興特別措置法(2012年4月に2022年まで延長する改正法を施行)を制定し、1972年の本土復帰から振興予算の総額は10兆円を超える莫大な補助金を沖縄に投じて来た。
振興予算以外にも、軍用地代、各種税金の軽減措置などの特別扱いを40年以上受け続けた結果、沖縄県財政の75%を補助金に頼る依存体質が染みついてしまった。
九州程度の国土しかないオランダは世界第2位(2011年)の農業輸出国である。
農産物輸出額1位はアメリカ、3位がドイツ、以下ブラジル、フランス、アルゼンチンと国土の広い農業大国の中で、農地面積が限られているオランダの奮闘ぶりは際立っている。
ちなみに日本は57位で、農産物輸出10兆円を誇るオランダの30分の1しかない。
また、2011年の日本の穀物自給率は28%、農産物輸出大国のオランダは14%しかない。
農産物輸出額1位はアメリカ、3位がドイツ、以下ブラジル、フランス、アルゼンチンと国土の広い農業大国の中で、農地面積が限られているオランダの奮闘ぶりは際立っている。
ちなみに日本は57位で、農産物輸出10兆円を誇るオランダの30分の1しかない。
また、2011年の日本の穀物自給率は28%、農産物輸出大国のオランダは14%しかない。
オランダは農業の競争力を強化するために3つの意思決定を行った。
1つは「自由化」で、農業保護をやめ、日本の農林水産省に当たる農業・自然・食品安全省を解体して、経済省に統合し、農業部、酪農部、水産部という3つの部局に再編することで、農業を産業の一つに位置付けた。
さらに公的機関による農業指導事業を民営化(DLV Plant社)した。
さらに公的機関による農業指導事業を民営化(DLV Plant社)した。
2つ目は「選択と集中」で、生産品目を高付加価値品目にシフトし、農地を集約化させた。
トマト、パプリカ、キュウリの3品目で施設野菜の栽培面積の8割を占めている。
農家は集約化と大規模化が進み、農業の経営体数は1980年の15700社から2010年には7100社へ半減している。
トマト、パプリカ、キュウリの3品目で施設野菜の栽培面積の8割を占めている。
農家は集約化と大規模化が進み、農業の経営体数は1980年の15700社から2010年には7100社へ半減している。
3つ目は「イノベーション」で、オランダ国内の5ヶ所に「グリーンポート」と呼ばれる農業クラスターを形成させ、温室環境制御システム開発や温室整備の世界的なメーカーを招聘し、ITを活用したスマートアグリを展開している。
ワーヘニンゲン大学を中核とした「フードバレー」には、食品関連企業1400社、科学関連企業70社、食品関連研究機関20社が終結し、1万人の研究者によって多様なプロジェクトが進められている。
日本からはキッコーマン、日本水産、アサヒビール、サントリーらが参画している。
日本からはキッコーマン、日本水産、アサヒビール、サントリーらが参画している。
世界の相場ではコメは完全にコモディティ化しており、トン単位で取り扱われているにも関わらず、日本のコメは778%の関税と減反政策で守られている。
日本の農業政策の最大の問題は、付加価値の低いコメを中心に置いて、聖域化してきたことである。
戦後直後は農業就業人口の割合が50%を超えており、コメ農家も多かったので、それでもよかったが、食の多様化が進みコメの消費量は1963年の1300万トンをピークに毎年減少し、現在では800万トンほどしかない。
大幅な生産過剰となったため1971年から減反政策を開始し、10アール当り1万5000円の補助金を減反農家に支払ってきた。
米価を高止まりさせるために、補助金を払って生産調整をしてきたのである。
米価を高止まりさせるために、補助金を払って生産調整をしてきたのである。
1970年には1000万人いち農業就業人口は今や336万人(全就業人口の2~3%)まで減り、しかもそのうち3分の2が65歳以上であり年金生活者となっている。
日本のコメ農家の平均所得の構成比を見ると、年金所得が農業所得の3倍以上となっている。
日本のコメ農家の平均所得の構成比を見ると、年金所得が農業所得の3倍以上となっている。
不動産の市場価格は、商業的に貸し出し可能なスペースがどれくらいあるかで決定するので、容積率次第で土地が生み出す富が規定される。
東京23区で道路や公園を除いて、建物が建てられるエリアの容積率の平均は136%と低すぎる。
米ニューヨークのマンハッタンの平均容積率は住宅街で631%、オフィス街では1421%であり平均14階建てということになる。
米ニューヨークのマンハッタンの平均容積率は住宅街で631%、オフィス街では1421%であり平均14階建てということになる。
山手線の内側だけだと建物高さの平均は2.6階で、同じ広さを持つパリの中心部における高さの平均は6階となっている。
パリはルイ14世か゜ベルサイユ宮殿を築いた300年前から6階建てで、街並みのポリシーから建物の外観も当時と全く変わっておらず、超高層ビルは「ラ・デファンス」と呼ばれる副都心に集中させている。
パリはルイ14世か゜ベルサイユ宮殿を築いた300年前から6階建てで、街並みのポリシーから建物の外観も当時と全く変わっておらず、超高層ビルは「ラ・デファンス」と呼ばれる副都心に集中させている。
ドイツは州に権限があるが、実際には市町村が容積率や高さ制限を決めている。
例えば欧州の金融センターのフランクフルトの容積率はマンハッタン並みだが、ミュンヘンでは500年前に建てられたフラウエン教会の高さ100メートルに合わせて、これより高い建物はミュンヘンにふさわしくないという理由で高さ制限がある。
例えば欧州の金融センターのフランクフルトの容積率はマンハッタン並みだが、ミュンヘンでは500年前に建てられたフラウエン教会の高さ100メートルに合わせて、これより高い建物はミュンヘンにふさわしくないという理由で高さ制限がある。
逆に土地が狭い香港の商業地では20メートルより低いビルは建設できない。
このように世界では、それぞれのコミュニティで容積率などの建築基準を決めている。
建物に関してはコミュニティが強い権限を持っているのが世界の常識であり、それゆえに特徴的な街づくりができ、由緒ある街並みが守られているのである。
建物に関してはコミュニティが強い権限を持っているのが世界の常識であり、それゆえに特徴的な街づくりができ、由緒ある街並みが守られているのである。
土地利用を制限する容積率を全国一律に国が決めているのは、世界的にも日本と日本に倣った韓国以外には存在しない。
国が定める容積率の根拠は、国土交通省のさじ加減一つで決まる。
例えば、大阪・中之島に朝日新聞社が高さ200メートルの大阪本社ビルを建設した際に、この地域の容積率は1400%だったのを、朝日新聞の要請通り、国土交通省は1600%という容積率を認めた。
つまり、建築設計の専門家が安全性を厳正に審査してOKを出したのではなく、国土交通省のお目こぼしで決まるのであり、容積率に根拠はない。
例えば、大阪・中之島に朝日新聞社が高さ200メートルの大阪本社ビルを建設した際に、この地域の容積率は1400%だったのを、朝日新聞の要請通り、国土交通省は1600%という容積率を認めた。
つまり、建築設計の専門家が安全性を厳正に審査してOKを出したのではなく、国土交通省のお目こぼしで決まるのであり、容積率に根拠はない。
最近ではJR山手線の品川-田町間の操車場跡地を「国際戦略総合特区」に指定し、容積率を大幅に緩和する話も出ているが、このエリアだけの地盤が固いという理由はなく、容積率は特区にしたたげで変えられるような根拠のない数字なのである。
2016年5月6日金曜日
「運用期間が長い方がリスクは小さくなる」というのは完全に間違いである。
同じリスク資産に投資するならば、1年間投資するよりも2年間投資する方が、運用資産の額が取り得る範囲の上下は間違いなく拡大する。
「運用期間が長いと大きなリスクを取ってもいい」という誤った見解が投資家の間て根強い支持を得ている理由の一つに、『ウォール街のランダム・ウォーカー』の著者パールトン・マルキールのように、正しいセオリーだとして教える権威がいるからである。
『ウォール街のランダム・ウォーカー』最新版の「リスクは投資期間に依存する」というタイトルが付いた小項目で「株式投資のリスクも投資期間に応じて減少するのだろうか。答えはもちろん「イエス」である」という記述があり、「長期投資=リスク縮小」という誤解をする人が減らないのも無理はない。
この本が議論の根拠に挙げるデータ自体に誤りがある訳ではないが、データの見方が間違っている。
投資期間別に見た場合、投資期間が長くなるほど「年率の」投資収益率の上下のブレ幅が小さくなることをグラフで見せて、長い期間投資すればリスクが小さくなると説明しているが、これは不適切である。
投資期間別に見た場合、投資期間が長くなるほど「年率の」投資収益率の上下のブレ幅が小さくなることをグラフで見せて、長い期間投資すればリスクが小さくなると説明しているが、これは不適切である。
仮に投資期間1年で「年率の収益率」がプラスマイナス10%の範囲にあり、投資期間が2年間ではこれがブラスマイナス7%であったとした場合、「運用資産額」で見ると、1年後は投資資産額に対して上下90~110%、2年後では86.5~114.5%となる。
つまり「年率」の収益率の上下幅が縮んでも、その収益率が複数年に適用される訳だから、資産額の上下幅はそれなりに大きなものになる。
投資家にとっての問題なのは、運用資産の価値なのである。
つまり「年率」の収益率の上下幅が縮んでも、その収益率が複数年に適用される訳だから、資産額の上下幅はそれなりに大きなものになる。
投資家にとっての問題なのは、運用資産の価値なのである。
株価は、将来、企業が株主にもたらす利益の割引現在価値の合計として考えることができる。
利益成長率が一定の下の理論的に適正な株価は、次のモデルとなる。
P=E÷(r-g)
P=E÷(r-g)
P=株価
E=今期の1株当り利益
r=株式投資のリスクに対して投資家が要求するリターン(金利+リスクプレミアム)
g=利益の成長率(一律と仮定する)
E=今期の1株当り利益
r=株式投資のリスクに対して投資家が要求するリターン(金利+リスクプレミアム)
g=利益の成長率(一律と仮定する)
例えば、ある会社の1株当りの利益が50円で、投資家の要求リターンが6%、利益成長率が4%ならば、この会社の株価は50÷(0.06-0.04)=2500円となる。利益成長率が2%に低下すると50÷(0.06-0.02)=1250円となる。
投資をスタートした時の株価が異なるだけで、投資した後に投資家が得られると期待できるリターンは変化しない。
投資をスタートした時の株価が異なるだけで、投資した後に投資家が得られると期待できるリターンは変化しない。
この成長率は、マイナスでも構わなく、利益成長率がマイナス2%ならば、50÷(0.06-(-0.02))=50÷0.08=625円が適正株価となり、理論上、この株価で投資する限り、投資家の期待リターンは6%と変わらない。
つまり投資家の投資時の株価が十分に低ければ、リターンは十分確保できるのである。
投資家にとって注目すべきは、現在の株価が十分に低いのかどうかということになる。
投資家にとって注目すべきは、現在の株価が十分に低いのかどうかということになる。
「毎月分配型」と称される投資信託は、毎月決算を行って分配金を支払う仕組みに特色があり、銀行の店頭で売られている投資信託の中でこのタイプは主力商品となっている。
毎月分売という仕組みは、運用利回りがプラスであることを前提とするならば、課税のタイミングが早くなる分だけ、年1回分配の同一運用内容の商品よりも確実に損してしまう。
しかし、年金収入の補完を意識する高齢者にとって、実際には自分の資産を取り崩しているたけだが、毎月収入があることは分かり易く、安心感を得られる。
分配金を一定に保つことによって、「安定した利回り」に近いイメージを与えて安定した運用であるかのように見せる売り方が効果的である事から、銀行の窓口販売では「売れ筋商品」の地位を獲得した。
分配金を一定に保つことによって、「安定した利回り」に近いイメージを与えて安定した運用であるかのように見せる売り方が効果的である事から、銀行の窓口販売では「売れ筋商品」の地位を獲得した。
「ドルコスト平均法」は、同一の投資対象について、定期的に一定金額の購入を行う積立投資の方法として有名である。
同一口数を買い付け続けるよりも、平均買い単価が下がるのは有利だと、推奨されることが多く「積立投資の王道」と説明される。
同一口数を買い付け続けるよりも、平均買い単価が下がるのは有利だと、推奨されることが多く「積立投資の王道」と説明される。
しかし、結論としては「ドルコスト平均法は、特段有利な投資方法ではないし、時には弊害もある」と事になる。
ドルコスト平均法をやっているので、リスクが抑えられているはずと思っていても、既に買ってしまった株や投資信託のリスクが小さくなることはない。
ドルコスト平均法は、「平均買いコスト」に投資家の支店を週知友させることで、投資対象が値下がりした時の「気休め」をあらかじめ提供する投資方法に過ぎない。
〇ドルコスト平均法の弊害
1.ドルコスト平均法による投資は、十分な運用資金がある場合に機会損失につながることがある。
2.余計に手数料がかかることがある。
3.同じ投資対象にリスクを集中させることになる。
リスクを低下させるためにドルコスト平均法で投資するならば、投資するこどに買い付ける対象を変えた方が、分散投資の効果が働いて好ましいはずである。
リスクを低下させるためにドルコスト平均法で投資するならば、投資するこどに買い付ける対象を変えた方が、分散投資の効果が働いて好ましいはずである。
バランスファンドとは、内外の株式・債権など複数のアセットクラス(資産分類)に投資する運用商品のことである。
資産クラスま配分を決める「アセットアロケーション(資産配分計画)
」は投資に不慣れな人にとっては難しく感じられるので、これをファンドの運用側でやってくれるバランスファンドは、初心者にとって気が楽な商品だと言える側面があるため、よく「初心者向き商品だ」とセールス時に説明される。
」は投資に不慣れな人にとっては難しく感じられるので、これをファンドの運用側でやってくれるバランスファンドは、初心者にとって気が楽な商品だと言える側面があるため、よく「初心者向き商品だ」とセールス時に説明される。
また、NISA口座でも運用期間を通じて資産配分を調整する投資行動である「リバランス」を可能にするので、「NISAに向いた商品だ」とマネー誌などの記事にも、頻繁に掲載されている。
しかし、バランスファンドが、「初心者向け・NISAに向いている」というのは明白な誤りである。
お金の運用に関する3つの見方に気づくと、これらの嘘に理解できる。
1.投資家はリスクを投資金額で調整できる。
2.投資家にとって大切なのは自分の資産の「一部」ではなく「合計」である。
3.投資家は運用の中身を知らないよりも知っている方がよい。
1.投資家はリスクを投資金額で調整できる。
2.投資家にとって大切なのは自分の資産の「一部」ではなく「合計」である。
3.投資家は運用の中身を知らないよりも知っている方がよい。
リスクの把握が難しいという点について、少なくともバランスファンドは「初心者向け」の商品ではない。
個人が自分のお金を扱う上でわきまえておくべき「7つの常識」
1.年齢と運用方法は基本的に無関係。高齢者向け、若者向けといった年齢別に最適な運用商品、運用方法といったものは無い。
2.資金使途と運用方法ね無関係。老妓資金と子供の学費は同じ運用方法でいいし、そもそもお金を分けて運用すること無意味である。
3.リスクを取る大きさは、運用商品の種類ではなく、リスクを取る運用商品に投資する「金額」で調節すべきである。
4.運用商品を購入するかもしれない相手(銀行、証券会社、保険会社、FPコンサルタント)にお金の運用を相談してはならない。
特に「無料相談」は自らカモになりに行く行為である。
特に「無料相談」は自らカモになりに行く行為である。
5.配当や分配金を使うのも、自分が持っている普通預金を取り崩すのも、同じ金額を使うのであれば、経済的な意味は同じ。預金がある人には「分配金のニーズ」など無いはずである。
6.株式や投資信託は、お金が必要だと思えば、自分が買った値段より安く売っても全く問題ない。
7.同じ市場に投資するに当たって手数料がより高い商品は、それだけでダメ商品。「手数料は高いが運用は上手い」という運用商品を事前に選ぶことはできない。
日本政府の中長期経済見通しでは長期金利は2~3年後には2%に達する予定となっており、「インフレ率2%」が達成された後、日本銀行は少なくとも現在のようなペースで長期国債を買う事はなくなり、数年後には長期国債の利回りが2~3%に達する可能性が充分ある。
そうすると、長期国債の価格は2~3割下落することになる。
特に、貸出先不足から、有価証券の運用に大きく依存している銀行については、運用の失敗で債務超過に陥る事態となる可能性も十分ありうる。
自己資本に関する規制基準が厳しいメガバンクよりも、経営リスクがあるにもかかわらず基準が甘い地方銀行や第二地銀、信用金庫などには不安を感じる。
銀行と親しくなっても、ろくなことはないので、取引銀行はドライに選択する必要がある
山崎元さんの著書『信じていいのか銀行員』(講談社現代新書)の原稿の元になったのは、主に銀行員を読者とする『近代セールス』(近代セールス社刊)という雑誌に「山本元の資産運用の常識・非常識」というタイトルで連載されていたものである。
山崎さんは、雑誌執筆当時、銀行員が顧客にとって正しい営業を行わないことへの怒りと、銀行員に資産運用の正しい常識を知ってほしいという願い、心ある銀行員はきっと行動を改善してくれるはずだという期待とが交錯していたという。
だから、本書を一番読んでほしい読者は銀行員であり、顧客と銀行の双方が長期的に上手くいくようなビジネスのあり方を改めて考えてみることを期待しているという。
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